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宗派で違う食事の唱えごと

昨日いただいた「阿じろ」さんの箸袋には、食事前の唱えごとが印刷されてありました。
これは「五観の偈(ごかんのげ)」と言って、禅宗では定番のものです。ふつうの方でも、たとえば大本山永平寺や總持寺の中で食事をなさったら、これをお唱えされる機会があります。

で、これはおそらく臨済宗の唱え方だと思うのですが、じつは曹洞宗と少しばかり違うのですよね。
「五観」ですので、五つの誓いがあるのですが、1と2と4はいっしょ。3と5が違いますね。って言っても、漢文の読み下しの違い程度なもので、意味自体は変わらないと思います。

 
中で興味深いのは3つめの違いです。
写真のものでは
「心を防ぎ、過貪等を離るるを宗とす」(しんのふせぎ、とがとんとうをはなるるをしゅうとす)
ですが、私たち曹洞宗では
「心を防ぎ、過を離るることは貪等を宗とす」(しんのふせぎ、とがをはなるることはとんとうをしゅうとす)
と読んでいます。

意味としてはどちらも、食事をするときには、邪な心や誤った行いを離れるために、貪りの心を起こさないようにしなければならない、、といったところでしょうか。
そこからすると、曹洞宗の読み方より、臨済宗の読み方のほうが、意味として通りやすいような気も。

 
いやいや、私ちゃんと判ってないだけかもしれませんが(笑)
こういう微妙な宗派の違いってホントおもしろいな、、と思ったできごとでした。

ちなみにこの「五観の偈」 曹洞宗だと道元禅師の著である『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』という食事作法の書物にあるのですが、臨済宗だとどうなのかな。もっと言うと、それ以前のオリジナルがあるのかな。。

コメント:8

NONNON 2010年6月27日 19:33

高野山の宿坊に泊まると、こんなふうにお唱えして食事をいただいたものでした。

「一滴の水にも天地のめぐみがこもっています
一粒の米にも蔓人のちからが加はっています
ありがたくいただきましょう」

宗派によってちがいますが、こういうお唱えだと
小学生くらいにはわかりやすいです。

shosen 2010年6月27日 22:38

NONNONさんありがとうございます
おお、それはたしかにわかりやすくて良いですね。
たぶん、なにかオリジナルのものがあって、意訳されているのだろうなと思います。
言い回しは違っても、中に込められた精神は共通しているものかと思います。

サボテン 2010年6月27日 23:26

梅雨らしい日々が続きますが、いかがお過ごしですか?

宗派による違い、特に食事の前後に唱える言葉については関心を持っています。
天台宗(比叡山)では斎食儀をお唱えしています。
http://www.tendai.or.jp/houwashuu/index.php

天台宗でも食事をありがたく頂く心を重んじています。
現代社会に必要な心であると思います。

shosen 2010年6月28日 22:50

サボテンさんありがとうございます
本当に蒸し暑い毎日ですね。サボテンさんも、お気をつけてお過ごしくださいね。
さてさて、斎食儀拝見しました。これもまたわかりやすくて良いですね~。
原文の、言葉自体が持つ力強さというのもあるでしょうが、意訳されてこなれたものも捨てがたいですよね。

tenjin95 2010年6月30日 18:08

> 管理人様

駒大の晴山俊英先生には、この唱え方の違いについての研究がありますが、御指摘の通り、臨済読みの方が分かりやすいです。なお、宗門では、江戸期に既に、現行の読み方が定着していましたので、間違いに気付かなかったか、もしくは、これを強引に解釈することで理解していたのでしょう(京都にも縁が深い面山瑞方和尚『受食五観訓蒙』は後者の立場)。

なお、最近栄西禅師『出家大綱』にある五観の偈を見たのですが、やっぱり違っていました。この辺、色々とあったのでしょうね。余談ですが、道元禅師の時代は、これを口に出して唱えてはいませんでした。

shosen 2010年6月30日 22:30

tenjin95さんありがとうございます
おお、やはりそうなのですね。われわれの読み方だけしか知らないとこんなものかな、、と思いますが。
昔はもっとさまざまなバリエーションがあったりしたのでしょうか。口に出して唱えない、、というのも意外な感じです。

今思い出しましたが、展鉢の偈文で「仏生迦毘羅、、中略、、等三輪空寂」まで、永平寺だと一句ずつ切りますでしょ。
でも、子どものころ徒弟研修で行ってた興聖寺だと切らないんですよね。そんな細かいところも気になったこのごろでした。。

tenjin95 2010年7月 4日 18:52

> 管理人様

> 今思い出しましたが、展鉢の偈文で「仏生迦毘羅、、中略、、等三輪空寂」まで、永平寺だと一句ずつ切りますでしょ。でも、子どものころ徒弟研修で行ってた興聖寺だと切らないんですよね。そんな細かいところも気になったこのごろでした。

この偈文、道元禅師の時代には唱えていませんでした。『赴粥飯法』には書いていません。現在の食事作法は、江戸時代の古規復古運動以降のものでしょうね。

拙僧が竹友寮で習った限りでは、切らない捉え方でした。

shosen 2010年7月 4日 22:37

tenjin95さんありがとうございます
おお、そうなんですか。いろいろ変遷の歴史があるのですね。

>拙僧が竹友寮で習った限りでは、切らない捉え方でした
そうですか!
私も竹友寮いましたけど、当時は切ってたなー。で、そのとき私が、興聖寺では切らないよ、って話ししてると、同級生が「その方が早く終わっていいのにな」って言ってたのも覚えてます(笑)

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