お釈迦さまも裸で生まれた
- 仏教のこと
- 2010年5月 3日 23:51
今日は妻子と4人で兼務寺へ。月遅れの花まつりでございました。
総代さんや世話方さんが花御堂をしつらえお待ちのところに、法衣を来た小坊主2人といっしょに座っておつとめをしてきたのでございます。やっぱり、私1人のときとは、檀家さん方の食いつきが違うのでございます。
さて、お釈迦さまはお生まれになったあと、「天上天下唯我独尊」とおっしゃられたと伝わっています。
お釈迦さまの尊さを賛嘆する意味もあり、また、私たちひとりひとりの持つ尊さについて述べられたのだ、、とも解釈されるようです。
花御堂におまつりされるお釈迦さまは、裸のお姿です。
おぎゃーと生まれてこの世に出てくるときは、お釈迦さまだって、一国の首相だって、どんな人だって裸の姿です。
人として生まれることに、ここでは違いがありません。裸のお釈迦さまが、この言葉をおっしゃるところに意味があるのでしょうね。
そして長じて、私たちはいろいろな縁を結び、親子や友人や夫婦や近所や仕事関係など、さまざまな顔や肩書きを持って生活していきます。
そんなとき、他に何もかもない裸の自分を思い出してしまうと、不安に駆られることがあるかも知れません。
しかしながら、尊いはずの裸の自分を思い出して、かえって不安に駆られてしまうのは、これも不幸なことでしょう。
では、そのさまざまな顔や肩書きが、裸の尊さをおとしめてきたのでしょうか。もちろんそんなことはありません。
親子のあいだで、こういうことを教えられ育ててもらった。
友だちの関係の中で、あの助言があったから、今の自分がある。
同僚の関係の中で、こんな自分の悪いところを指摘してもらった。
こんなことがあって、私たちは生きていきます。
裸の自分の不安を和らげてくれるのは、さまざまな顔と肩書きを持つ自分の、周りにあるいろいろな縁しかないからです。
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