悲しみは本当に時が解決するか
- 仏教のこと
- 2010年2月18日 18:22

ちょうどこの近くまで、お逮夜でおまいりしてます。。
故人は37歳の男性。お宅ではご両親、奥さま、お祖母さん、妹さんが待っていてくださいます。
おつとめの後、お父さまと奥さまと、ちょっと話し込んでいました。そこのお父さまは、ご自身の感情の揺れを、じつに的確に言葉にして表現されるのです。(ちなみに、それは私がいちばん苦手とするところで、こういう人を前にすると舌を巻いてしまいます)
その中で、「これ(悲しみ)も時間が解決することなのでしょうね・・」とおっしゃるのですね。こういう場で、悲嘆の中にいる人が言う場合、私はそのままに受け止めます。ご遺族が日々を過ごす励みにされることもあるでしょう。
ただこれは、周囲のものが使う慰めの言葉としては、不適切だという指摘もあります。
おそらく、「悲しみは時が解決する」ことが、「解決される前」ではわからないからかと思います。
何度も波を体験して、時間がずーっと経って、やっとやっと、たとえば「ああ、私はまだ生きていて、あなたのおかげで、これからも生きていくんだ」といったように思えるようになるときが来て、「ああ、悲しみって、時が解決してくれるんだな」と思えるのかな。
時が至らぬときは、そう思いたくても、思おうと出来ないということもあるかな。
かなりの状況差とか個人差がありそうですね。でも、いつかみんな、そこにたどり着けるものなのだろう、、とも思います。
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