Home > 仏教のこと > 悲しみは本当に時が解決するか

悲しみは本当に時が解決するか

100218_1118~010001.jpg

ちょうどこの近くまで、お逮夜でおまいりしてます。。
故人は37歳の男性。お宅ではご両親、奥さま、お祖母さん、妹さんが待っていてくださいます。

おつとめの後、お父さまと奥さまと、ちょっと話し込んでいました。そこのお父さまは、ご自身の感情の揺れを、じつに的確に言葉にして表現されるのです。(ちなみに、それは私がいちばん苦手とするところで、こういう人を前にすると舌を巻いてしまいます)

その中で、「これ(悲しみ)も時間が解決することなのでしょうね・・」とおっしゃるのですね。こういう場で、悲嘆の中にいる人が言う場合、私はそのままに受け止めます。ご遺族が日々を過ごす励みにされることもあるでしょう。
ただこれは、周囲のものが使う慰めの言葉としては、不適切だという指摘もあります。

おそらく、「悲しみは時が解決する」ことが、「解決される前」ではわからないからかと思います。

何度も波を体験して、時間がずーっと経って、やっとやっと、たとえば「ああ、私はまだ生きていて、あなたのおかげで、これからも生きていくんだ」といったように思えるようになるときが来て、「ああ、悲しみって、時が解決してくれるんだな」と思えるのかな。

時が至らぬときは、そう思いたくても、思おうと出来ないということもあるかな。

かなりの状況差とか個人差がありそうですね。でも、いつかみんな、そこにたどり着けるものなのだろう、、とも思います。

コメント:6

tenjin95 2010年2月20日 12:07

> 管理人様

拙僧は、あることがあってから、檀家さんに、もし悲しみが来たときには、仏さまに対して、お手を合わせるように促すことにしました。良いか悪いかは、本人良く分かっておりません。

shosen 2010年2月22日 22:18

tenjin95さんありがとうございます
おお、手を合わせることをお勧めされるのはすばらしいですよね。
形が心に良い影響を与えていくことはありますでしょうし。

NONNON 2010年2月24日 10:14

時が解決するというか、
時がたつと悲しみって指輪とか腕時計のように
からだの一部になっていくような。

手元をふと見ると
ああはめている、身につけているって
気づくんだけど、ふだんほとんど気にしなくなる。

「慣れてくるんだけど、忘れることはない」


shosen 2010年2月24日 17:42

NONNONさんありがとうございます
なるほど、悲しみがからだの一部になっていく、、
とは、なんだか詩的で、また経験された方にはしっくりくる表現なのでしょうね。
悲しみが、人生を豊かにさせることは、たしかにある気がします。

NONNON 2010年2月24日 20:58

悲しみは人生を豊かにする・・・

でも悲しみのさなかにあるひとは
なかなか受け入れることができないんですよね。

悲しみの時期がすぎると
気づくのかもしれません。

shosen 2010年2月24日 22:39

NONNONさんふたたびありがとうございます
おお、まさに私がこの記事で申し上げたかったことを、的確に表現していただけました・・。
人は自分の経験したことのない苦労はナカナカ理解できません。
理解できることの多い人は、それだけ悲しみを経験されているのだと思いますが、それは周囲からは豊かさとして評価される気もしています。

トラックバック:0

この記事へのトラックバックURL
http://softera.jp/mt/mt-tb.cgi/507
このリストは、次の記事を参照しています
悲しみは本当に時が解決するか from てらブログ

Home > 仏教のこと > 悲しみは本当に時が解決するか

Return to page top