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比するに前後の歩みの如し

先日の同期会で、物故者法要をつとめたと書いておりましたが、そのとき私たちは「参同契(さんどうかい)」というお経を読みました。8世紀の中国(唐)で活躍された、石頭希遷(せきとうきせん)禅師が書かれたもの。中国産の経典です。
詩の形になっていて、五言を一句とし、それが四十四句。全部で220字という短くて、しかもテンポ良く唱えられるお経なのですね。ただ、法事や葬儀には登場しませんので、一般の方が耳にされる機会はないかなぁ。

 

写真はその「参同契」の一句。このときに購入したお軸です。

 
「明暗おのおの相対(あいたい)して、比するに前後の歩みの如し」と読みます。シンプルな対句の中に、じつは仏教のポイントが隠されている名句だと思います。

「明と暗」は、それぞれ「さとりと迷い」(もっと意訳すると理想と現実か・・)といったものを象徴している、、と言えそうですね。
さとりと迷いは、もちろんまったく違う境地です。ところが、じつは迷いの中からしか、さとりは生まれてきません。

 
これは、仏教が「私たちの生きる世の中」をどう見ているか、、ということにかかっています。

たとえば、私たちは老いから逃れることはできません。これは、さとっていようが迷っていようが変わらないものです。
世の中を「けっして思い通りにならないもの」と見るのが、仏教の大大前提であるからです。(これを専門用語で「苦」と言います)

さとりと迷いの違いは、思い通りにならない不満のまま生きるか、その中でどうやってより良く生きるか、、という選択の差、とも言えると思います。

 
さとっても現実の社会を生きることには変わらず。逆に、現実に迷う社会を生きつづけることからしか、さとりはあらわれてこないわけなのですね・・。 

そのことが、ちょうど私たちが歩いているとき、左右の足はどちらが前でどちらが後ろかの別はなく、ただひたすらに順にくり出されているだけ、、ということに例えられているのでありマス。。

コメント:6

青龍寺和尚 2009年10月26日 21:02

よいお軸ですね。
一発で言い表して居られますなぁ〜

tenjin95 2009年10月26日 22:45

> 管理人様

祖堂諷経で『参同契』をお読みする理由ですが、面山和尚さまが面白い見解を残しておられます。詳細は、来月の現職研修にてお話しします。

risa 2009年10月27日 12:56

味のあるいい字ですね。こういう字を書くの難しい・・・。こういう字書きたいです。
言葉も奥が深くていいですね。

shosen 2009年10月27日 21:50

青龍寺和尚さんありがとうございます
そうですね、一発の句ですね。

shosen 2009年10月27日 21:51

tenjin95さんありがとうございます
おお、それは興味深いお話しですね。
しかしながらスミマセン、今年は現職行けないのです。残念です・・。

shosen 2009年10月27日 21:52

risaさんありがとうございます
risaさんがそうおっしゃると、やはり説得力ありますね。
はい、奥深い言葉はいっぱいあって、先人の智慧のかたまりですよね。

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