比するに前後の歩みの如し
- 仏教のこと
- 2009年10月26日 18:01
先日の同期会で、物故者法要をつとめたと書いておりましたが、そのとき私たちは「参同契(さんどうかい)」というお経を読みました。8世紀の中国(唐)で活躍された、石頭希遷(せきとうきせん)禅師が書かれたもの。中国産の経典です。
詩の形になっていて、五言を一句とし、それが四十四句。全部で220字という短くて、しかもテンポ良く唱えられるお経なのですね。ただ、法事や葬儀には登場しませんので、一般の方が耳にされる機会はないかなぁ。

写真はその「参同契」の一句。このときに購入したお軸です。
「明暗おのおの相対(あいたい)して、比するに前後の歩みの如し」と読みます。シンプルな対句の中に、じつは仏教のポイントが隠されている名句だと思います。
「明と暗」は、それぞれ「さとりと迷い」(もっと意訳すると理想と現実か・・)といったものを象徴している、、と言えそうですね。
さとりと迷いは、もちろんまったく違う境地です。ところが、じつは迷いの中からしか、さとりは生まれてきません。
これは、仏教が「私たちの生きる世の中」をどう見ているか、、ということにかかっています。
たとえば、私たちは老いから逃れることはできません。これは、さとっていようが迷っていようが変わらないものです。
世の中を「けっして思い通りにならないもの」と見るのが、仏教の大大前提であるからです。(これを専門用語で「苦」と言います)
さとりと迷いの違いは、思い通りにならない不満のまま生きるか、その中でどうやってより良く生きるか、、という選択の差、とも言えると思います。
さとっても現実の社会を生きることには変わらず。逆に、現実に迷う社会を生きつづけることからしか、さとりはあらわれてこないわけなのですね・・。
そのことが、ちょうど私たちが歩いているとき、左右の足はどちらが前でどちらが後ろかの別はなく、ただひたすらに順にくり出されているだけ、、ということに例えられているのでありマス。。