私たちは変化し続けるもの
政権交代の話題ですっかり影を潜めてしまいましたが、酒井法子被告のニュースもちょこちょこ出てきていますよね。(ご参照 → このあたり)
反省し謝罪する手紙を事務所社長に送ったりする反面、供述はまだあいまいなところもあり、「クスリ抜き」や「証拠隠滅」などの疑いも強くなってきています。
覚醒剤に手を染めてしまった人間は、たとえクスリと縁が切れても、もうそれ以前の体に戻ることはできないと聞きます。「もう完全に止められた」ではなく、「今日もしなかった、を繰り返す毎日」を目指すしかないのですね。
酒井被告にしても例外ではありません。人間がかんたんに悪に落ち込んでしまう怖さを感じます。
ただ、おなじように、今度は善に変わることもできる、、という仏教の発想があります。
たとえば、道元禅師の主著である『正法眼蔵』の「発菩提心(ほつぼだいしん)巻」に
おほよそ発心・得道、みな刹那生滅するによるものなり。もし刹那生滅せずは、前刹那の悪さるべからず。前刹那の悪いまださらざれば、後刹那の善いま現生すべからず。
とあります。
仏教では、あらゆるものごとは常に変化し続け、おなじところにとどまることはないという見方をします。「刹那消滅(せつなしょうめつ)」とは、そのあたりを指す仏教語です。
このことは、私たちも「変化し続けるもの」であること、たとえば老いて病に倒れ、最後はその命を終える身であることを言うのに使われます。
ところが逆に、私たちは「変化し続けるもの」であるから、悪が去り善を起こすことができるとも言えるわけです。仏教は宿命論ではありませんので、私たちの心持ちと努力によって、過去を背負いつつ未来を拓いていけると説いています。
過去を背負って「前刹那の悪」を去らせ、心持ちと努力によって「後刹那の善いま現生」してくる。
酒井被告の、善が現生するように願うとともに、私自身もこの文をなぞって生きなければならない、、とも思うわけです。いえ、いつもではなく、ごくごくたまにです。
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