そのきさらぎの望月のころ
- 仏教のこと
- 2009年2月15日 21:10
「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」
という歌は、平安末期(源平合戦のころ)に活躍した歌人の西行法師が、お釈迦さまの涅槃になぞらえて詠んだものと知られています。きさらぎの望月とは旧暦の2月15日。新暦では4月初めくらいなのかな? 花とは桜のことですしね。
現代のお寺では、その2月15日(地方によっては月遅れ)という日を涅槃会にあて、その日亡くなったとされるお釈迦さまを、慕う1日としています。
花の下、、というと、伊丹十三監督の『お葬式』も浮かびます。
ラストシーンで主人公役の山崎努が、火葬場で桜吹雪を見て「オレは春に死ぬことに決めたよ」っていう感じのセリフを言ってますね。日本人だからかな、私もその心情はわかる気がします。
まあ、自分の死にたい季節を言う人はそんなにおられないかな。私がよく耳にするのは、「まわりに迷惑をかけないで死にたい」という言葉です。
これを美徳と取るのか、はたまた、周囲との断絶を思わせる悲劇と取るのか、それぞれ事情はあることでしょう。
それでも、最近よく聞く「死をタブー視してはいけない」という死生学の主張にとっては、ひとつのとっかかりとなる気持ちかも知れません。
おまいり先で、「和尚さん、できれば子どもに迷惑かけて死にたくないねぇ」とおっしゃる方に、
「ああ、私もそう思いますよ。でも、迷惑かけないで死ぬなんて出来ないですよね(笑)」と返すと、相手も苦笑してしまわれます。
かのお釈迦さまだって、死因は食中毒かと伝えられていますが、そういう意味ではかなりお弟子さまたちの手をわずらわせたこともあったのかなぁ、、とも思ってしまいます。手塚治虫の『ブッダ』は、そのあたりうまく表現している気がしますね。